「6月って奴は」 夢×挑戦ブログ挑戦報告6月

Rt NAHA

2007年06月03日 06:00

初めての「手術」は、2003年 6月のことだった。夜8時過ぎ、ロードレーサーに乗り、家
からでてたった20m先のT字路で、、、その左側から右折してきた車に気をとられ、右側の
「SPD」がはずれないまま、身体が右側に倒れ込んでしまったのだ。右肘頭で全体重を支え
ようとしたが、無理なことだとは思う暇もなく「グギッ」っと音をたてて折れたのだった。

 術後12日間の入院生活はだるかった。しかし、暇をもてあましたとはいえ、いろいろ考え
る時間が持てたのは幸運だったのかもしれない。たまには、このような強制的ナ非日常を
経験することも必要であると結論づけていたりもした。あれこれとりとめもなく・・・

 今現在の自分について、仕事について、自分の生きざまについて、健康について、、、

将来せまりくる老いについて、「生をまっとうする」という思いはしっかりもっているつもりで
あった。ただ、日々の暮らしを楽しむ余裕があったのだろうかと自問していた。知らず知ら
ずのうちに元気な自分がいなくなっていたのかもしれないと・・・あれこれ止め処なく思考は
続いた。

 そして思った「一回きりの人生を楽しむこと、そのためには、マンネリに陥らずにいかに
リフレッシュしていけるか」っと・・・「細胞ひとつひとつが、一瞬の生をまっとうしてくれるから
こそ健康で生き続けられるんだと・・・だとしたら、我が身体もリフレッシュを繰り返していこう」

   だから、走るようになった。ゆっくりとでいいから「ロングジョグ」を続けることを。

 相方REKOTINが走り始めたことも動機である。彼女は、この月始め、千歳で初ハーフ
を完走していた。小雨のなか、アッシーくんとしてスタートを見送りながら、青葉公園から
支笏湖に続く原始林のなかをひとり走っていた自分がいた。太古より永遠に生き続ける森、
その「フィトンチッド」に身体が「反応」えていた。この森なら、この道なら自分も走ってみたい
と思ってしまった。

 ロードレーサーでたまに長い距離を走るくらいしか身体を動かすことはなかった自分。

 だから、走り始めの最初は悲惨だった、200メートルも息が続かない自分の身体にびっ
くりした、すぐ歩きそして少しのジョグを繰り返していた・・・週に多くて2度、30分から1時間
ほどのショートジョグを続けることを課題にしながら、なかなか走り続けることはできなかった。
それでも、どのくらいかかったのだろうか、ほんとうに「亀」の歩みであったジョグが、少し
ずつ少しずつであるが、「走り」を楽しめるようになっていった。「快走」を知ったのであった。

 青いろの空に喜び、藍いろの空気をいっぱいに吸い込み、緑いろの森のなかを走る。

 身体が自転車では味わえない「内臓の上下動」に驚きながらも、それすらも+思考で喜
んでいる自分がいた。走ることで汗をかくことで、元気になっていく自分を発見していた。
リフレッシュすることで「ポジティブ」な行動をするようになっていったのかもしれない。

 そして、とうとう「禁煙」までしてしまった。40歳越えたら、大橋巨泉にならって「禁煙」する
と、吸い始めた10代前半の誓いも守れず。。。ズルズルと「禁煙」宣言だけは続けていた。

   今度の9月で、満50歳、禁煙4年目達成となる。

 そのみかえりに、腹がすこぶる調子が良いおかげで「しゃり」が旨く「泡麦&盛」も進み、
内臓肥満がとまらないことに不安を覚えたのが、2005年12月。そして、スロージョグを続け
ながら・・・大代(50)にのるまえに、42.195kmを、My Rootsを走ってみようってさぁ!

  「NAHAマラソン2006」で初フル完走の誓いをたて、一年間「耐える脚をつくり」
  がんばって「快走」をなしとげることができた。それなりに「亀」走りだけどねぇ(^^;

 チャレンジし続けることを教えてくれたのは、「6月」小雨のなかの、あの森、原始林の中
だったのです。「継続こそ宝」今日もまたこれからも、チャレンジが続くのであります。

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